パブリックと結

渋沢栄一の曾孫にあたるという、寿一さんが面白いことをおっしゃっていました。
「パブリックという英語を公共と訳すのはおかしい、日本でもっともそれに近いのは結(ゆい)のようなものだろう」


公共というのは、文字からして「おおやけ」、つまり「お上」のやること、というような印象が拭えません。
パブリック・スクールも「義塾」と福沢諭吉が訳していますが、パブリックを公共と訳すのは、日本人の実感からやや遠いように思われます。


それに、今の日本においては「公共事業」とは、まさにお上のやることですが、江戸時代にはそうではありませんでした。
橋を造る、新田を開発する、川を治水するなどといったことは、相当の部分庶民自らが行っています。
淀屋橋、鴻池新田など、商家が資金を提供し、カネのない庶民は労力を提供して、大事業を成し遂げてきました。
明治維新以後でも、大阪の寝屋川治水で、大橋房太郎が私財をなげうち、治水に勤めています。
一般の人々は、「せめて力仕事だけでも」と労を惜しまなかったといいます。
それは、その地に住む人々が互いに助け合い、何事かを成し遂げようとする、「結」にいちばん近いものだと思います。


一方、西欧でパブリックの基礎になっているのは、「最後の審判」への恐怖ではないでしょうか。
今でこそキリスト教は愛を説く宗教になっていますが、塩野七生さんが指摘しているように、1000年もの中世時代に西欧で支配的だったのは、最後の審判の恐怖と恫喝でした。
最後の審判の時、過去に死んだ人もすべて生き返り、これまでの人類すべてが額の刻印に従って天国行きと地獄行きに分けられる。
地獄行きのものは、永遠の業火に焼かれ、もがき苦しむ・・・。


その最後の審判への恐怖があるからこそ、「神はいつも私たちを見ている」という意識、西欧人のパブリックの基礎になっているのでしょうか。
日本の「結」は、西欧のパブリックとは違う起源を持つように思われてなりません。
千と千尋」のような、ヤオロズの神々との共同作業の「祭り」のようなものなのでしょうか・・・?


いっそ、「公共の精神」という言葉をやめて、「結のこころがけ」とでも言い換えるようにしてはいかがでしょうか。