火中の栗

2,3年前になる。ある民主党議員に「本当は今のようなタイミングで、政権を取りたくはないのでしょう?」と尋ねたところ、腕組みして考え込んだ。しばしの沈黙後、「政権を取る機会があるなら、逃げないつもりだ」と答えが返ってきた。
事態を正確に理解した、明敏な答えだと思った。と同時に、不安も抱いた。

現在の日本において、本気で改革に取り組むつもりで政権を取るということは、火中の栗を拾うに等しい行為であり、自殺行為である。その議員は、日本のためならあえて民主党が滅ぶことも厭わない、と言ったことになる。潔いと思う反面、「崩壊後の日本に、どう責任を取るつもりだ?」という無責任さもいささか感じざるを得なかった。

橋本政権以後、本気で改革に臨むということは、自殺を意味してきた。
本気で改革すれば、国民から憎悪の的となり、政権を滑り落ちることになるからだ。
小泉政権がこれほど長期政権でいられたのは、改革に本気でなかったからである。
郵政改革など、些事である。海に浮かぶ小舟のようなものだ。
些事に一所懸命なフリをしていたのだから、本気どころかふざけている。
もし本当に本気だったというのなら、暗愚と言わざるを得ない。

・・・小泉カイカクが歪(いびつ)になり出したあたりから考えていたことがある。「もし自民党の立場に立つなら」・・・たとえ一時政権を降りることになっても「本当の改革」は他の党に任せてしまうだろう。「本当の改革」をすれば日本の経済と社会は大混乱に陥り、国民からは恨まれ、結果としてその政党はバラバラに崩壊し回復不能になる恐れが高いからだ。だから、年金や道路公団、郵政改革のような隔靴掻痒(かっかそうよう)の「中途半端な改革」でカイカクするフリをし、お茶を濁しながら時間をつぶす方がよい。機を見て「思うように改革が進まない」といってサジを投げ、政権を降りてしまえばいい。そして他の党に政権を取らせて喜ばせておきながら、「本当の改革」をせざるを得ないよう袋小路に追いつめてしまう。改革の結果、日本の経済・社会が大混乱に陥れば、その責任を当の政権党に押しつけて滅亡に追いやり、おもむろに政権にカムバックすればよい。そうすれば改革の傷を受けずに済み、その果実だけを味わいながら「次の時代」を支配することができる。「もし自民党の立場に立つなら」、今、政権を失うことはそれほど悪いことではない。

・・・民主党はピエロを買って出る覚悟が本当にあるのだろうか?
「本当の改革」は日本の将来のために、どうしても必要なことである。
しかし、それを実践した政党は、かなりの確率で崩壊する恐れがある。
そんなピエロを演じる覚悟が、本当にあるというのだろうか?

もしその覚悟があるのだとしたら、「改革後」をどう考えているのか。
改革は残念ながら、「よりよい将来」を保証してくれるものではない。
改革は必須だが、単に、今までたまりにたまった過去の問題を掃除するだけに終わる。未来に貢献する機会は与えられない。ただ、過去と心中するのみである。
改革後、日本の将来図を描くことになるのは、改革後に政権を握った政党である。
その政権が悪質であれば、日本の将来は暗いものになる。
改革だけでは足りないのだ。改革は前提でしかない。改革後に良識ある政権が誕生することが是非とも必要なのだ。
私は、改革後に良識ある政権が誕生することを切望している。
逆にいえば、改革後に悪質な政権が誕生することを最も恐れている。

日本をここまで追いつめた責任は、長く政権にあった自民党にある。
本来なら、自民党が尻ぬぐいをすべきであろう。
ところが民主党は野党の立場にありながら「本当の改革」を恐れ、自民党に迫ることもせず、年金や道路公団、郵政改革など、自民党のお芝居におつきあいした。
その意味で、民主党も責任を免れない。
仮に民主党がこの選挙後に政権を取り、「本当の改革」後に政党が崩壊するという憂き目を見ることになるとしても、それはここ数年の政治的怠慢の報いを受けると言うことなのだ。

もし自民党が再び政権を取ることになるとすれば、郵政改革のような隔靴掻痒の問題ではなく、「本気の改革」に今度こそ取り組んでもらわなければならない。
そして次の政権を担うことになる人たちに、よりよい日本を作ってもらえるよう、バトンを託す責任がある。

次の政権こそ、本当の改革に着手する責任がある。「過去と心中」する覚悟で以て。
そして、過去と心中する政党が決まることで、その後に日本を再構築することになる政権の姿も見えてくることになるだろう。
刮目すべし・・・!