精神的支柱の問題

現代日本社会は、心の問題が非常に深刻です。
この問題を解決するために、宗教心の回復だとか、あるいは愛国心で国民を束ねようなどという動きが出ています。
この問題を、少し突き詰めて考えていきたいと思います。

京大の名物教授だった森毅氏が、「イイカゲンがおもしろい」などの本で語っていたことです。
戦前の、いわゆる軍国主義を信じていた人たちは、実はマジメで優等生の人たちが多かったそうです。
素直だからこそ、その時代が正しいとする考え方、より優れているとされている考え方を信じ込んでしまうというわけです。
ですから、戦争に負け、鬼畜米英だったのがアメリカ万歳へと180度方向が入れ替わったとき、「素直な人々」は非常にとまどいました。
 #城山三郎大義の末」参照。
だまされた、と強く憤った人たちも、実は素直でマジメだったからこそだといえます。
ところが森氏のように、よく言えば飄々としていて、悪く言えば不真面目で何事にも斜に構えたところのある人たちは、戦争に負けても特に大きなショックを受けず、戦後も同じように飄々と生きています。

このことは重要です。
素直な人たち、マジメな人たちは、素直でマジメだからこそ、時代がよしとする思想を自らの精神的支柱にしてしまうということです。
この人たちは軍国主義の時代なら軍国主義を、マルクス主義全盛ならマルクス主義を信奉するでしょう。
そして時代がその精神的支柱を打ち倒してしまったとしたら、戸惑いを隠せないでしょう。
こうした人たちは、いつの時代も精神的支柱を必須としています。
時代が提供してくれる精神的支えがないと、どこに向けばよいのか分からなくなってしまいます。
そして、誤った支柱を与えられたり、あるいは後から「間違っていました」と言われると、大きく混乱してしまう人たちです。

今の日本社会は、まさにこの精神的支柱を失っているが故に、心の問題を惹起しているといえます。
精神的支柱をどう取り扱うのか、私たちは真剣に議論しなければならないところにきているといえます。