「人まねではない価値観の形成」へのコダワリ

現代日本人は、価値観の継承というようなことを考えると、条件反射的な反発を覚える人が少なくありません。
私は、こうなる原因が二つあると考えています。
一つは敗戦です。
「神国日本、大勝利」を信じ込まされていたら、敗戦した途端に手のひらを返したように日本はダメだ、アメリカ万歳、軍国主義さようなら、民主主義こんにちは・・・もう、大人のいうことなど信じるものか、と、当時の若者が反発するのは当然のことだったかもしれません。
この世代の人たちは、自分たちに思想を押しつける人たちを憎むし、自分たちも子供たちに思想を押しつけたくないと思いました。
価値観の継承を心底拒否した世代です。

しかし、もう一つ原因があります。
これは、価値観の継承を必要ないと考える理論的根拠として、何世紀にもわたって私たちを支配している考え方です。
それが、デカルトの提唱した合理主義の方法論です。

現代の私たちは、人のいうことをそのまま鵜呑みして信じるのは愚の骨頂、と考えます。自分の頭で批判的に考え、取捨選択すべきである、と考えています。
そのような態度に理論的根拠を与え、個人主義の理論的基礎にもなったのが、デカルトの方法論です。

デカルトの残したメッセージは次の二つになります。
1.<全否定>あなたがこれまで信じていた既成概念を、いったんすべて疑うか、否定しなさい。
2.<再構築>その上で、疑いようもない真実を拾い集めて、思想を再構築しなさい。

あなたはこの二段階の方法論を魅力的なものと思いますか?
少なくとも、17世紀の知識人は、これを知ったとき熱狂しました。
ディドロダランベールなどの百科全書派は、この合理主義の方法論を広める活動をしていたといっても過言ではありません。

時代が下り、現代人になると、デカルトを聞いたことのない人でも、「全てをいったん否定せよ!それから正しい思想を打ち立てよ!」という考え方は、無意識のうちに「ちょっと知的な人なら当然正しいと思うこと」だと考えるようになっています。

しかしこの方法論は、とても強い副作用を持つ劇薬です。
使用を間違えれば、「死に至る病」になりかねません。
私たちは、デカルトのこの方法論を、そろそろ修正しなければならない時代に来ていると思われます。