護送船団方式概説5

護送船団方式崩壊によって起こった現象は、企業グループの枠を越えた合併や、大企業の倒産ばかりではありません。
「国外への脱出」も急速に始まりました。

これまで、日本で企業を営もうとすれば、護送船団方式の方針に反することは絶対できませんでした。
石油を外国から安く仕入れ、国内で安く販売しようと言うベンチャーが出てきても、護送船団全体でその企業を叩きつぶしてきました。
護送船団システムの利害に反することは、この国では無理な相談でした。
それは国内ばかりでなく、海外に進出しようと言うときにもいえました。
海外に工場を造るにしても、経営の主体は国内におかなければなりませんでした。
儲けは、きっと国内に入るように配慮する必要がありました。
護送船団方式には、それだけの強制力がありました。
だからこそ、世界で飛び抜けた貿易黒字を計上することができたのです。

ですが、護送船団方式が崩壊し、企業が海外へ逃亡するのを、留めだてする仕組みが失われました。
山一証券を見捨てた大蔵省は、もはや大企業から信頼を失ってしまい、その指導方針に従う企業はなくなりました。
その上、日本は666兆円もの累積債務を抱えて、倒産寸前になっています。
その重い負担を背負わされるのもまっぴら、「日本丸沈没」につきあわされるのも御免とばかり、企業はアジア、特に中国に生産の拠点を移しています。
今では、日本の多くの企業が、日本に片足を残しているだけです。
日本に大事変が起きれば、たちまちその片足さえ、引っ込めてしまうでしょう。

私たちは、ちょうどその端境期にさしかかっているのです。