護送船団方式概説1

50余年前、敗戦の時に、占領軍のGHQによって、三菱や住友などの大財閥は、これでもか、というほどにたくさんの小さな会社に解体されました。
財閥が残っている限り、日本の改革は成功しない、と考えられたからです。
これによって、大財閥が、ほんのわずかな一族によって支配されるという仕組みはなくなりました。

ところが、程なくアメリカとソ連の間に冷戦が始まり、アメリカは、「極東の最前線」である日本に対する政策転換を迫られました。
あまりに解体しすぎて、日本の体制が弱体化し、共産主義化するのを恐れたのです。

独占禁止法などが緩和され、銀行(銀行は、財閥解体から免れていた)が中心となって、旧財閥系の企業を再び統合し始めました。
三菱であれば、三菱銀行が中心になって、解体された会社を再び合併させ、もとの会社に戻したりしました(三菱重工など)。
こうして、日本のほとんどの企業が、旧財閥系の6つのグループに再編されました(6大企業グループ)。

GHQの制定した独禁法により、一つの会社の株を何パーセント以上保有してはいけないと定められていましたが、銀行がグループの中心になってうまく処理し、グループ内の会社が、相互にすこしずつ株を持ちあう仕組みを作り上げました。
これによって、他人に株を買い占められることなく、経営権をグループ以外の人間に奪われる心配がなくなりました。
「会社は株主のもの」というのが資本主義の原則ですが、日本では株を持っているのは身内の企業ですから、あれこれ経営にいらぬクチバシを入れられる心配がなくなりました。
ですから、日本では、「会社は社長のもの」という形になったといえます。

経営の方針は、株の持ち主である、グループ全体が決定することになります。
グループを統括するのが銀行です。
そして、その銀行の上層部に、大蔵省OBが天下ります。

大蔵省が銀行に君臨し、銀行は6大企業グループを統括し、その企業グループの底辺に、分厚い中小企業集団が存在する、というピラミッドが形成されました。
これを、護送船団方式といいます。