朝顔のツル

生まれてから半年間の間、自分の存在を丸ごと受けとめてくれる両親の温もりを知ること、これは長崎の少年も与えられていたかもしれません。
しかし、3歳になるまでに身につけるべき、やるべきこと、やってはならないことの理解は、どうだったのでしょうか・・・?


人がこの世で生きていく限り、物理法則に従わなければなりません。
人が人の世で生きていく限り、そこにもルールがあります。
そのルールに従った上で、自分の人生を築き上げる力を育むことが大事なのではないでしょうか。


人が人と向き合いながら生きていくのに、「温・節・譲・容・誠・実・信」という7つの条件が必要だと思います。
他者と共に生きて行くには、信じてもらえる存在にならなければなりません(信)。
信じてもらうには、実際にやってみせることが必要です(実)。
実を示すには、物事に真面目に取り組む力が必要です(誠)。
真面目に取り組むには、イヤなことも受け入れる度量が必要です(容)。
イヤなこと・ものを受け入れるためには、謙虚に構え、他者に譲る心が必要です(譲)。
謙虚になるには、人と人との関係にはルールがあり、それに則ることができるようになる必要があります(節)。
そのルールに従ってなお、前向きに生きていく力の源泉となるのが、自分の存在を丸ごと受けとめてくれる両親の温もりではないでしょうか(温)。


たとえ愛情深い両親であっても、社会に生きていくためには、節から信に至るまでの基礎的な条件を子供に施さなくてはならないと思います。
それが、3歳までの重要な期間なのだといいます。


朝顔にもし棒をたててやらなかったら、ツルは地面にとぐろを巻き、人の足下に踏みにじられてしまいます。
朝顔は何かに巻き付いて高みを目指す力をもともと持ち合わせているのに、意図的にそれを与えなければ、朝顔は花も実も付けづらくなってしまいます。


せっかく「温」の基礎的条件を備えていても、「節」から始まる社会に出るための条件を備えていなければ、
「節」を弁えず好き勝手をやるようになり(恣)、
好き勝手を許されればやがて傲慢になり(傲)、
傲慢になれば他人のやることを許せなくなり(狭)、
心が狭くなれば人を裏切るようになり(背)、
裏切りを繰り返せばウソで塗り固めざるを得なくなり(虚)、
中身のない人間と見なされれば人から信じられなくなります(疑)。
人から疑われれば当然自分も人を疑うようになり、やがて心は冷たくなっていきます(冷)。


優しい子であり続けてほしいと思えばこそ、温・節・譲・容・誠・実・信の7つを身につけ、その好循環を続けることができるよう、大人は考えなければならないように思います。
その子が愛しいからこそ、社会と向き合う力を身につけてもらうための厳しさが必要です。
ただ愛情だけ与えるだけでは、いつしか冷・恣・傲・狭・背・虚・疑の悪循環へと変わってしまいかねません。


太陽の温もりはいのちを育む第一条件です。
しかし重力の厳しさがあればこそツルを巻き付け、葉を展伸し、冬があればこそタネは芽を出し、花を咲かせるのでしょう。
いのちが持つ力を引き出す好循環を、大人の側が配慮してやらなければならないような気がいたします。