武士道とは・・・

葉隠」に「武士道とは死ぬことと見つけたり」という文言がある。
初めてこの本を読んだとき、考えの浅い私は、ずいぶん鼻息が荒いと感じ、敬遠気味であった。
まずは生きていくことを考えるべきではないか、というように思ったのだった。

ヨーロッパが中世からルネッサンスに移行しようというとき、「つねに死を思え(メメント・モリ)」という言葉があったという。
いつ世の終わりが来るかもしれないという世紀末観に怯えながら、事実ペストという恐怖の疫病といつも向き合わなければならない状況にあれば、死を思わずにはいられなかったのだろうと思う。

そのまっただ中に生きたモンテーニュも、過去の偉人達の不動の精神を見習おうと、「死ぬ訓練」をしていた時期があった。
いかなる困難にも動揺しなかった小カトー、悠然たる態度で死を迎えたセネカに憧れ、いかなる苦難に遭おうとも、動揺しない精神を養おうという鼻息の荒いときがあったのだ。

しかしモンテーニュは、ごく普通の農民の中に、セネカ以上の堂々たる態度で死にゆく人々をたくさん目撃した。
ペストという恐怖の死病にとりつかれたことを自覚しながら、風邪をひいた程度の態度で耕作に努め、いよいよ動けなくなったら静かに息を引き取る。
そのころ、貴族達は肉食を中心にしていたため、尿結石に苦しみ、その激痛が始まると「不治の病にかかった」と悲嘆にくれたのだそうだが、特に哲学的訓練をしたことのない農民が従容と死を受け入れる。

モンテーニュは、このころから、「死ぬことは考えないことにした」という。
死ぬ直前まで日常を生きればよいという農民の姿に、強く感じたところがあったのだろうか。

しかし近頃、「葉隠」の文言を別な角度から見るべきではないか、という感を強くしている。
葉隠はいつも死ぬことを考えろ(メメント・モリ)といっているのではなく、死に場所を間違えるな、といっているのではないか、と思うようになったのだ。

今、世を見渡せば「死に場所」を間違えている、つまり出処進退を間違えているケースが後を絶たない。
安易に死ぬことは既に死に場所を間違えている。
また、責任を取らず恋々と権力にしがみつくのも死に場所を間違えている。
葉隠のいう「死ぬこと」とは、出処進退を誤らないということであろう。
それは非常に、積極的な意味だと言える。

ソクラテスは自ら毒杯を飲んだ。
己の思うまま、生きんがために、なのであろうか。

今の日本社会には、生きるということにメリハリがない。
ただ生存しているというだけのことを、生きると言えるのだろうか?

かつて武士道は何を求めようとしていたのか。もう一度見つめ直したい。